SPAINって国。
2週間放浪してスペイン人と話して街を歩いて感じたこと考えたことなんかを。
1‐ことば
スペイン人はスペイン語話すって嘘ですねw
バルセロナ着いて街を見渡してらカタランばっかり。
(駅とかの表記は、カタラン、カスティージャ、英語の順番)
というのも、スペインには4つの言語があります。
スペイン語って俗に言われるカスティーリャ語、バルセロナを中心とする地域で話されるカタラン語、フランスに近い地域のバスク語、ポルトガル語の元となったガリシア語。イベリア半島の歴史調べるとなんで4つかよくわかります。
バルセロナの私の友達はカタラン地域出身だから日常的にはカタランで話します。小学校の教科書もカタラン語です。でもカスティーリャも同時に習うので大人になるころには両方当たり前に話せるし書けます。
この地域はスペイン内戦前からずっと独立運動を続けてきたくらいだから、スペインであってスペインでない雰囲気をたまに感じます。
例えば、モンセラットっていうとこに日帰りで観光行った帰りで電車隣になったおじいちゃんはカタランしか話せず、前に座ってたおじさんに通訳してもらいながら話してると(おじさん超迷惑wありがとー)
「日本帰ったら、スペイン行ってきたじゃなくってカタランに行ってきたって言うんやで!」「スペイン語よりカタラン語がいいよー」とか冗談やけど言ってくるし、地域性の強さを感じました。
マドリッドに住んでる別の友達はガリシア語の地域に生まれ、もちろんスペイン人やからカスティーリャも話せるけど、ポルトガル語も話せます。
というのもガリシア語がポルトガル語に近くて勉強しやすかったみたい。
でもこんな風に色んなことばが自由に話せるようになったのはフランコの独裁が73年に終わって各州の自治が認められてから。最近。
2-フランコ時代
友達と日本について話してた時やと思うけど、尖閣諸島が大変でさ、でも中国国民はネットも規制されて情報が得られないから・・ってなこと話してたら、
「今の中国見てるとはまるでフランコ時代のスペイン見てるみたい。」
って。
私は不勉強でフランコ将軍の名前は知ってたけど実態は詳しく知らなかったから、、
「どゆこと?」 って聞き返した。
「情報が得られない、自治が認められない、政府にものが言えない」
確かに、フランコ将軍はスペイン内戦を指揮し、勝利。独裁を開始。
ってのは世界史で習った気する・・
内戦後、負けた方の人民戦線軍の人たちは虐殺され、独裁が終わるまで、スペインに言論の自由はなかった。カタランもバスクも話すことを禁止された。
だから30年たった今でもスペインでフランコのことを話すのはタブーみたいなとこがあるらしい。特に直接その時代を経験した世代は絶対語りたがらない。
「それってドイツの人たちがナチスについて語りたがらないのと似てる?」
3年前ベルリンでユダヤ博物館でユダヤ系の血が自分に入ってることは自分からは言わない、言えないってドイツ人が言ってたの思い出して聞いてみる。
すると、
「ナチスは10年、フランコは40年。ナチスは世界中から悪いものの代名詞みたいに語られる。ナチスを支持するなんてできない。でもフランコ独裁は長すぎて、人生の大半をその体制で暮らした人がスペインにはいっぱいいる。言論統制はきつかったけど、この体制下でスペインが発展して人々の生活レベルが上がったのも事実。その恩恵で生活が潤っていた人が多すぎて、よかったのか悪かったのか公には口に出せない。親世代にとっては話題にできない話題かな。」
む、むむ。
うーーーん。そうか。
他にも、スペイン人ばっかりのパーティーに突入して家飲み終了して、次外で飲むぞーってマドリッドの一番でかい通り、グランヴィアに繰り出した時も、一緒に歩いてた子が、
「僕らの親が僕らくらいの時はこんなふうにみんなで街を歩くことなんてできなかったんだよ。フランコの時代だったからね」
って普通に話してくれた。
日本にとってタブーっていえば第二次世界大戦かなって思うけど、それを経験したのは親じゃなくて祖父母世代で、私にとってあれは学校で勉強する歴史。だったからこういう話を聞くと歴史上の出来事がまだ終わってなくて続いてるってことを肌で感じて不思議。
暗い部分やけどスペイン人にとってすごい大きな部分。考えさせられた。
ちなみにフランコが死んで後継者ファンカルロス1世は態度を一変、今では独裁ではなく立憲君主制の国です。
3-景気
景気は悪いです。
というか、就職難すぎる。
日本もそうやしヨーロッパでも結構そうやけど、スペインひどい。
失業率20%・・・
この数字を示すように、私の同い年くらいの友達はバルセロナの子も、マドリッドの子もみんなマスタークラスに通ってる。
大学4年卒業しても職はない。
+αでマスターとってないと。
私の友達みんな英語流暢に話せるんですけど!
別の子でジャーナリストめざしてる子。
「もちろん大学は卒業して、マスター終わって、今インターン中。せめて4つか5つインターンこなして経験つけないと正式採用になんかならない。しかもインターン中給料なんてあってないようなもんやし・・」
って。。。
でも!スペイン人はやっぱり陽気
4-スペイン人の生活
~例えば働いてる場合でも~
朝起きて 朝食ってもクッキーとかシリアル
9時 仕事開始
11時軽食orティタイム
働く
14時からがっつり休む
食べる、ワイン飲む、ビール飲む、寝る
1時間~
2時間休憩して16時
働く
17時仕事終わる
バルでサッカーでも見ながら飲む
21時から夜ご飯
金曜、土曜はほぼ外出!
的なw
昼ほんまみんなビール飲んでるしゆっくり食事してる。
太陽に吸い寄せられるように日向でシエスタ。
ただひとつだけ大変だったのは夜ご飯が9時とか10時ってことw
昼外食で量抑えてるからおなかすいてたまらんかったw
5-サッカー
国民的スポーツ。日本の野球よりもすごい人気。
バルのテレビは基本サッカー中継。
カンプノウもベルナベウもでっかすぎるし試合がある日は昼からユニフォーム着た人が街でウロウロしてる。
バルセロナの友達の弟もサッカー選手。今はイギリスだけど。
昔バルサユースでやってたからピケとか知り合いらしい。すご
6-家族。
家族の絆ってのが容易に見える。
やたらみんな親に電話する。
毎日1回といわず2-3回w
そして終末は絶対ファミリーランチがある。
私基本的に親への連絡メールで終了してたら、
「え?まだ親に電話してないの?なんで?」
って超不思議がられた。
そんなことでスペインでした。
人がほんとに魅力的!絶対また行く。
もっと色んなとこいって色んな人としゃべってこの国のこともっと知りたくなりました。
1‐ことば
スペイン人はスペイン語話すって嘘ですねw
バルセロナ着いて街を見渡してらカタランばっかり。
(駅とかの表記は、カタラン、カスティージャ、英語の順番)
というのも、スペインには4つの言語があります。
スペイン語って俗に言われるカスティーリャ語、バルセロナを中心とする地域で話されるカタラン語、フランスに近い地域のバスク語、ポルトガル語の元となったガリシア語。イベリア半島の歴史調べるとなんで4つかよくわかります。
バルセロナの私の友達はカタラン地域出身だから日常的にはカタランで話します。小学校の教科書もカタラン語です。でもカスティーリャも同時に習うので大人になるころには両方当たり前に話せるし書けます。
この地域はスペイン内戦前からずっと独立運動を続けてきたくらいだから、スペインであってスペインでない雰囲気をたまに感じます。
例えば、モンセラットっていうとこに日帰りで観光行った帰りで電車隣になったおじいちゃんはカタランしか話せず、前に座ってたおじさんに通訳してもらいながら話してると(おじさん超迷惑wありがとー)
「日本帰ったら、スペイン行ってきたじゃなくってカタランに行ってきたって言うんやで!」「スペイン語よりカタラン語がいいよー」とか冗談やけど言ってくるし、地域性の強さを感じました。
マドリッドに住んでる別の友達はガリシア語の地域に生まれ、もちろんスペイン人やからカスティーリャも話せるけど、ポルトガル語も話せます。
というのもガリシア語がポルトガル語に近くて勉強しやすかったみたい。
でもこんな風に色んなことばが自由に話せるようになったのはフランコの独裁が73年に終わって各州の自治が認められてから。最近。
2-フランコ時代
友達と日本について話してた時やと思うけど、尖閣諸島が大変でさ、でも中国国民はネットも規制されて情報が得られないから・・ってなこと話してたら、
「今の中国見てるとはまるでフランコ時代のスペイン見てるみたい。」
って。
私は不勉強でフランコ将軍の名前は知ってたけど実態は詳しく知らなかったから、、
「どゆこと?」 って聞き返した。
「情報が得られない、自治が認められない、政府にものが言えない」
確かに、フランコ将軍はスペイン内戦を指揮し、勝利。独裁を開始。
ってのは世界史で習った気する・・
内戦後、負けた方の人民戦線軍の人たちは虐殺され、独裁が終わるまで、スペインに言論の自由はなかった。カタランもバスクも話すことを禁止された。
だから30年たった今でもスペインでフランコのことを話すのはタブーみたいなとこがあるらしい。特に直接その時代を経験した世代は絶対語りたがらない。
「それってドイツの人たちがナチスについて語りたがらないのと似てる?」
3年前ベルリンでユダヤ博物館でユダヤ系の血が自分に入ってることは自分からは言わない、言えないってドイツ人が言ってたの思い出して聞いてみる。
すると、
「ナチスは10年、フランコは40年。ナチスは世界中から悪いものの代名詞みたいに語られる。ナチスを支持するなんてできない。でもフランコ独裁は長すぎて、人生の大半をその体制で暮らした人がスペインにはいっぱいいる。言論統制はきつかったけど、この体制下でスペインが発展して人々の生活レベルが上がったのも事実。その恩恵で生活が潤っていた人が多すぎて、よかったのか悪かったのか公には口に出せない。親世代にとっては話題にできない話題かな。」
む、むむ。
うーーーん。そうか。
他にも、スペイン人ばっかりのパーティーに突入して家飲み終了して、次外で飲むぞーってマドリッドの一番でかい通り、グランヴィアに繰り出した時も、一緒に歩いてた子が、
「僕らの親が僕らくらいの時はこんなふうにみんなで街を歩くことなんてできなかったんだよ。フランコの時代だったからね」
って普通に話してくれた。
日本にとってタブーっていえば第二次世界大戦かなって思うけど、それを経験したのは親じゃなくて祖父母世代で、私にとってあれは学校で勉強する歴史。だったからこういう話を聞くと歴史上の出来事がまだ終わってなくて続いてるってことを肌で感じて不思議。
暗い部分やけどスペイン人にとってすごい大きな部分。考えさせられた。
ちなみにフランコが死んで後継者ファンカルロス1世は態度を一変、今では独裁ではなく立憲君主制の国です。
3-景気
景気は悪いです。
というか、就職難すぎる。
日本もそうやしヨーロッパでも結構そうやけど、スペインひどい。
失業率20%・・・
この数字を示すように、私の同い年くらいの友達はバルセロナの子も、マドリッドの子もみんなマスタークラスに通ってる。
大学4年卒業しても職はない。
+αでマスターとってないと。
私の友達みんな英語流暢に話せるんですけど!
別の子でジャーナリストめざしてる子。
「もちろん大学は卒業して、マスター終わって、今インターン中。せめて4つか5つインターンこなして経験つけないと正式採用になんかならない。しかもインターン中給料なんてあってないようなもんやし・・」
って。。。
でも!スペイン人はやっぱり陽気
4-スペイン人の生活
~例えば働いてる場合でも~
朝起きて 朝食ってもクッキーとかシリアル
9時 仕事開始
11時軽食orティタイム
働く
14時からがっつり休む
食べる、ワイン飲む、ビール飲む、寝る
1時間~
2時間休憩して16時
働く
17時仕事終わる
バルでサッカーでも見ながら飲む
21時から夜ご飯
金曜、土曜はほぼ外出!
的なw
昼ほんまみんなビール飲んでるしゆっくり食事してる。
太陽に吸い寄せられるように日向でシエスタ。
ただひとつだけ大変だったのは夜ご飯が9時とか10時ってことw
昼外食で量抑えてるからおなかすいてたまらんかったw
5-サッカー
国民的スポーツ。日本の野球よりもすごい人気。
バルのテレビは基本サッカー中継。
カンプノウもベルナベウもでっかすぎるし試合がある日は昼からユニフォーム着た人が街でウロウロしてる。
バルセロナの友達の弟もサッカー選手。今はイギリスだけど。
昔バルサユースでやってたからピケとか知り合いらしい。すご
6-家族。
家族の絆ってのが容易に見える。
やたらみんな親に電話する。
毎日1回といわず2-3回w
そして終末は絶対ファミリーランチがある。
私基本的に親への連絡メールで終了してたら、
「え?まだ親に電話してないの?なんで?」
って超不思議がられた。
そんなことでスペインでした。
人がほんとに魅力的!絶対また行く。
もっと色んなとこいって色んな人としゃべってこの国のこともっと知りたくなりました。
コメント
コメントを投稿